画伯、現る
みなんこんにちは、ぴんごです。GWも終わりになってきましたね。ざまぁみろです。
さて、今回のテーマは「画伯」としまして。絵を描いていこうと思います。
え?「そうめん」はどうしたって??
・・・
そうめんだけでは書く内容がもたない事に昨日気づきました。そのうち書くので許してください。(←本当かよ)
さぁ、仕切り直して絵を描いていくのですが、その前に私の華麗なる
美術遍歴を皆様に知っていただこうと思います。
幼稚園時代
私は仏教系の幼稚園通っていました。そのためか、なんと体育館の中に大きなお釈迦様の仏像がありました。その幼稚園では行事の中で、「全生徒による仏像の写生大会」があり、私はなんとそこで最優秀賞を獲得しました。
幼少ながらも美術センスに恵まれた私は、賞品でもらった色鉛筆で沢山の絵を描いていたのを覚えています。
小学生時代
幼稚園時代の自信を持ちつつ、満を持して小学校に入学した私は
そのセンスを生かしバリバリと絵を描く
ことは全くなく、テレビゲームにガンはまりしていしまい、美術の時間はそこそこのクオリティのものを提出し、お茶を濁し続けた6年間となりました。
↓は小2時代の図工の成績です。
図工の成績を見ていただければ私の評価がご理解いただけたでしょう。
中学生時代
小学生時代の不毛な時間の反省を生かし、なんと部活動では
「家庭・工作・美術部」に入部。
通称アート・クラフト部では、部活中にモンハンをしたり、早く家に帰るためにランニングで帰宅を中心に生活を送っていました。
3年生の文化祭では、友人3人で長方形の段ボールに灰色の絵の具を塗り、「サクラダファミリア」だと言い張って展示していました。
また、個人製作もあり、顧問に無理やり渡された
「折り紙キット 孔雀」を作りました。
↑大体こんな感じのものを作りました。
何が大変かというと、↓のような三角形のパーツを折り紙で作るのですが、
出典:
これがなんと約500個ほど必要となります。
思春期の青少年にはあまりにも退屈な作業ですが、顧問に怒られるのが嫌だった私は、約2カ月ほどかけて500個を作り、さらにこの孔雀を組み上げました。
展示後3日で壊れたので捨てました。
高校生時代
中学校で芸術自体に疲弊した私は、運動部に入部することを決意しました。(その話はまた別の機会に)
しかし、私の中にまだ芸術の魂があったのか、選択授業では「美術」を選びました。
美術の先生は、まさに芸術家という風貌のおじさんでした。
これはいい指導を受けることができ、きっと絵も上手くなれるだろうと確信しました。
初回の授業。満を持して教壇に立つ先生。自己紹介が終わったあと、先生は私たちに絵の課題を出しました。
しかし、そのあと先生はすぐ美術準備室に入り、まったくそこから出てくる気配がありません。
そのまま、チャイムが鳴ってしまい先生が思い出したかのように教壇に立ち、
「今日の授業はここまで」
・・・
そうなんです。毎回先生は準備室に引きこもり、出てくることはほぼ一度もありませんでした。
そこで、私たち生徒は授業などそっちのけで
お昼のおにぎりを早弁したり
モンハンしたり
野球してみたり
ほんとに自由でした。そして、3年間で何を描いたかも全く覚えていないです。
大学生時代
ペンタブを友人から譲り受けるも、1か月で挫折
社会人時代
ブログで絵を描くのを思いつき今に至る
なんか長くなったので、絵は次回のブログにて